自分の感覚との対話について

投稿者: | 2019-05-04
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自分が日常生活をしているうえで、気分の波があると思う。
調子がいい日、悪い日。カンが当たる日、そうでない日。とても気持ちいい日、そうでない日。

人間は、万物の霊長であると言われているがごとく、まだまだ解明されていないことが多い。世の中には一見、摩訶不思議なこともよく起こる。
偶然に起きることも、必然であるとよく言われる。

先祖との対話も大切

最近、よく感じるのであるが、自分の先祖との対話の大切さを思う。
対話と言っても難しいものではない。ただ、自分の祖先について考えて、その祖先があって今の自分があると思うこと。

性格とか、気質とか外見とか。どこか必ず似ているもので、これは親子や祖父・祖父母の顔や昔話を聞くとわかる。それと、もう一つは境遇とかが似てきてしまう。「家柄」と言えばわかりやすいが、そんな無機質なものでもない。

なぜ、自分にこんなことが起こるのだろうと考えてしまう。自分の身に起こることは間違いなく他人のせいではなくて、自分のせいなのであるがそれにしても、ある程度当初決まっていたかのような出来事が起こるのである。

神の存在

自分の人生において「神の存在」を感じるのである。
宗教におさそいするのではなく、単純になぜ自分の身にこのことが起こっているのだろうと思った時に、過去からの流れを感じることがある。

気を付けなければいけないのは、自分の先の事を消極的に考えたり悪い予感を感じたりする事だ。これは、ほとんど間違っている。
感じるに、本来人間は幸せになるように筋書きが出来ている。ただ、偶然に宝くじに当たるように幸せになるのではなく、色々な波を乗り越えた結果としていいことがもたらされる。

だから、辛いことがあっても必要以上に悲観的になることはない。よく言われるが、朝の来ない夜はなく、長いトンネルも走っていればやがて抜けるのである。
だから、そのときはジタバタせずにとりあえず目の前の事だけ淡々とこなせばよい。神は見ているのである。

人とのつながり

今、自分の周りの人。親、兄弟、友人、職場の同僚等は前世において何らかのつながりがあった人と思ってよいと思う。
それは、必然のつながりであって自分が逃れようと思っても逃れられないものである。

ただし、仮にその人と良いつながりになって人間性が高められれば、その方向で良いし、反対に険悪な関係から冷静に考えてその人と別れたならば、それはそれで良い。

やってはいけないのは、感情が高ぶって暴力をふるい相手にケガを負わせたり、相手に必要以上の心の傷を負わせたりすることである。人の立場になって考えることはとても大切で、相手を必要以上に傷つけると自分も傷ついてしまう。

宗教におぼれるな

こんなことを書くと、宗教染みた話で嫌いな人も多いと思う。反対に、私は仏教に明るいとか、キリスト教を深く信仰しているのでわかっているという人もいるだろう。ただ、危険なのは自分の人生の不遇を憂うあまり、ある宗教に救いを求めるということである。

苦しい辛いときは誰でも”神頼み”をするのであるが、度が過ぎるのはよくない。
自分がこんなひどい目に合っているのは、先祖のタタリだとか、信心が足りないとかいう話は信じない方がよい。

「必要以上に弱気になってはいけない」ということである。誰であっても、この世に生まれてきている以上、幸せになる力は全員備えている。

精神も大切だし、フィジカル(肉体的な運動・感覚)も大切

よく、瞑想をして精神力を鍛えると言われているが、人間には肉体が備わっている。体を動かして外で運動をしたあと、すがすがしい気持ちになるように肉体と精神は絶妙なバランスを築いている。

だから、動いて楽しんで時には静かにたたずんで心の中を観察する。
このバランスが必要じゃないかと思う。それと、同時に人間には「睡眠」が大切である。肉体、精神とも、睡眠によって疲れが取れる。

悩んだら、やってみる

何かで悩むことがある。その時はとにかくやってみることが大切だ。うまくいけば儲けものだし、だめだったらそれでいい。自分の貴重な経験として蓄積され、後できっと役にたつだろう。皆さんのご健闘を祈ります。

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